「生きる意味」なんてない
こんにちは。ライフコーチの岡本です。
「生きる意味は何だろう」と一度は悩んだことがある人は多いのではないでしょうか。
かくいう私もかつて、自分の生きる意味を見つけたくて悶々と悩んだ時期がありました。
その経験をもとに、今回は「生きる意味」について私の考えていることをお伝えしたいと思います。
「生きる意味とは何か」と問いを発してみると、深遠で一生をかけて解き明かされなければならない真理があるかのように感じられてしまいます。
そして、そこから逃れてはならない問題であるかのようにも。
でも、実はそこが罠なんです。
何時間も何日も、場合によっては何か月、何年も考え続けて何か答えは出たでしょうか。
答えが出るどころか。「生きる意味は何か」という問いから一歩も進んでいないのではないでしょうか。
かく言う私がそうでした。
問題が解決しない場合は、問いそのものを疑ってみることが有効です。
「問いそのものを疑う」といわれてもピンとこないかもしれません。
私たちは学校教育を通して問いを投げかけられ、それに対する答えを考え、回答するということを繰り返してきました。
「x、yそれぞれの値を求めなさい」
「主人公の気持ちを答えなさい」
「硫酸銅の化学式を答えなさい」
などなど
これらはすでにある正解を答えさせるために作られた問なので、正解があります。
「頂点が4つある三角形を描きなさい」なんて問題はテストで出題されなかったですよね?
正解がある問いに常にさらされ続けてきたために、私たちは問いを見ると問いそのものを疑うことなく反射的に正解を探そうとしてしまうのです。
そして、答えが見つからないのは自分の考えが足りないからだと思って、延々と考え続けてしまう。
では、間違った問いに対してどのように向き合えば良いのでしょうか。
先ほどの「頂点が4つある三角形を描きなさい」という問いでいうと、
「これは問いが間違っている。そんなものはない」
というところでしょうか。
では、同様に
「生きる意味は何か」
「これは問いが間違っている。そんなものはない」
と答えてみたらどうでしょうか。
なんだかすっきりしませんか?
よくよく考えたら「生きる」ことと「意味」はどう関係しているのでしょうか。
この世界の生き物は「意味」とは関係なく生きています。
ただ生きている。
人間も同じです。
あなたが赤ちゃんだった頃は「生きる意味」なんて考えていたでしょうか。
そんなことは考えていなかったですよね。
ただ生きて、やりたいことをやっていただけですよね。
ここで気を付けてほしいのは、
「『生きる意味』がない」ということと
「生きる『意味がない』」は全く別物であるということ。
慣用表現で「意味がない」というと「価値がない」や「やっても無駄」というニュアンスがあり、後者は「生きていても無駄」という意味になります。
もちろん、ここでは前者の「生きるというについて何か意味付けがされているということはない」といことです。
「じゃあ『生きる意味』がないとしたら、どうしたらいいの?」
と困ってしまうかもしれません。
でも、生きる意味がないとしたら、それは逆に自由ってことじゃないでしょうか?
自分以外のものに縛られず、自分で自分の行動を選べるんです。
それはすごいことではないですか?
もちろん、法律やルールには従わなければなりません。
でも、その範囲内であればあなたは自由なんです。
「いきなり自由だと言われても、どうしたらいいのか分からない」
そう思うかもしれません。
私たちは他人が設定した「正解」を探して、その通り行動することにあまりに慣れすぎてしまったために自由に生きることを忘れてしまっています。
なので、リハビリが必要です。
おすすめは「今やりたいと思ったことをやってみる」こと。
水を飲みたいと思ったら飲んでみる。
横になりたいと思ったら横になってみる。
そんなことをして意味あるの?と思うかもしれません。
「自由に生きる」というと、いきなり「時間と場所に縛られずに好きな時に好きな場所で働く」とか「いつでも好きな時に海外旅行に行ける」という状態を想像して、「そうでなければ意味がない」と思ってしまいがちです。
でもリハビリなので小さいことから、少しずつ、短い時間からで良いのです。
その習慣が積み重なって本当に自由に生きることができるようになるんです。
あなたは、今、この瞬間、何をしたいと思いましたか?
それを今、やってみましょう。
あなたの人生を応援しています。