岡本真潮(おかもと ましほ)
1982年生まれ。会社員の父親と専業主婦の母親、2歳年上の姉の4人家族。しっかり者の姉と自分を比べて「自分は何もできない」と漠然と感じていました。
小学生の頃、クラスで漫画を書くのが流行っていて、私も漫画を書いていました。
書いた漫画を友達に見せて笑ってもらえるのが嬉しかったので、「将来は漫画家になれたらいいな」と思っていました。
そんな時、父親から
「お前は将来何になりたいんだ?」と聞かれて
「漫画家になりたい」と答えたところ
「漫画家は一度 ヒットを出せたとしても継続して売れ続けるのは大変だぞ」と言いました。
この時父親は悪気があったわけではなく、事実を言っただけのつもりだったと思います。
しかしこの時自分は
「大変なんた。じゃあ自分には無理かな。どうせ無理なんだったらもうやりたいことを考えるのはやめよう。」
と思い込んでしまいました。
やりたいことが特になくても中学高校まではそれなりに楽しく過ごせていました。
そんな状況が狂いだしたのが大学に入学してからです。
そこに行けばみんなが集まっているホームルームがあって、学ぶべきことが時間割として決められていた高校までと異なり、大学にはホームルームもなければ時間割もありません。
良く言えば自分の自由にできるのですが、自分の意思を持っていなかった自分にとっては途方に暮れてしまう状況でした。
どうして良いかわからず、次第に大学に行けなくなってしまいました。
この時、誰かに相談することができればよかったのですが、当時は「誰かに相談する」という発想 すらありませんでした。
キャンパスには行くものの授業には出席せず、 図書館にこもって1人で過ごすようになりました。
その状況にさらに追い打ちをかけたのが 就職活動でした。就職活動では「これまで自分は何をしてきたか、これから自分は何をしていきたいか」が問われます。
今まで、ただ 与えられたことをこなしてきただけの自分には「これをやってきた」と言えるようなものは何もなく、これからやりたいと思えるようなこともありませんでした。
周りの人たちが次々と就職を決めていくなか、自分はエントリーシートは書けず、会社説明会すら行くことが怖くなり、就職活動から逃げ出しました。
結局1年休学、1年留年をして、2回目の就職活動でなんとか就職することができました。
就職してからもやはり壁に直面しました。
何の仕事をしたいかが明確でないままだったので、上司かる「お前はどうしたいんだ?」と問われると、どうして良いかわからず動けなくなってしまいました。
入社をしてから数年でいくつかの部署を転々としましたが、どこでも成果を出すことができませんでした。
そんなとき、友人にたまたま 誘われて行った セミナーでコーチングを知りました。
コーチングは対話を通してその人の可能性を引き出すこと。
もともと大人数よりは1対1のコミュニケーションの方が得意で、話すよりは聞く方が好きだったので
「これなら自分に向いてるのではないか」と思い、その後しばらくコーチング講座に通って学んでみました。
「コーチを本業にしてみたい」思うようになり、初級コースの後は中級コースも受講しました。
しかし、プロコーチになるための講座に進む 直前で、「独立なんて自分には無理だな。不安定な生活は自分には耐えられないかもしれない」と、自分の思いに蓋をしてしまいました。
その後、会社では人事部に異動になりました。
社員との面談や 採用の面接でコーチングの技法ことができました。
対話を通して相手が元気になれたり、気づきを得られたりする瞬間、やりがいを感じることができました。
人事の他の仕事も今までの仕事よりは自分に向いていたようで、頑張って仕事をすることができました。
そして5年人事として働いたとき、人事の仕事でキャリアアップをしようと思って、転職をしました。
新卒の就職活動ではあれだけ恐怖でしかなかったエントリーシートと面接が怖くなくなっていました。
転職が決まるまで 90社の選考に落ち続けましたが、全く気になりませんでした。
「自分は自分の力で人生を切り開いていける」と思えるようになりました。
そして、「コーチングを仕事にしよう」と思い、ライフコーチ ワールドの門を叩きました。
コーチ養成講座の中で自らもメンター コーチを受け、それを通してコーチとして生きることに確信を持ち、卒業後にライフコーチとしての活動を始めました。